2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「他人に良く思われたいこと」と「他人を批判すること」は、自分の霊的な成長を止まらせてしまう。

「他人に良く思われたいこと」と「他人を批判すること」は、自分の霊的な成長を止まらせてしまう。

『主なる神』

『主なる神』という言葉は神聖原理、即ち神がその御性質をこの地上に現わすために御創造になられた完全なる存在者を現わすために使われた言葉です。この方は神聖原理者に似せて造られ、神聖原理者の持っているものはすべて手に入れ使用することができました…

不調和に対する最大の癒しは、不調和が神から来るものではなく、神はそのようなものは、創り給わぬと知ることです。

病を治す力は、物事をその根元にまで遡って見究めるようになれて、始めて自分のものにすることができます。不調和が神から来るものではないということが分かった程度に応じて、不調和の克服ができるのです。あなた方の運命を形作る神は、何も陶工が粘土でも…

その魂に霊と生命と光とを豊かに惜しみなく注ぐがよい。

これが悟れたそのときから、あなたたちの声は偉大なる自在の歌となって高鳴るであろう。何故なら、今やあなた達は自らがキリストであること、人々の中にあって人々のために輝く光であること、を十分に自覚したからである。かくて、起伏烈しき人生行路を旅す…

あなた達は父と子の本当の一体は内に在るのであって、外にあるものではないこと、外なる神が取り去られ、内なる神のみが残っても、心騒がず、平穏でいられることが分かる。

大いなるキリスト魂は河にも下れるということ、及び水の上に歩みを進めるということは、実は世界の大きな欠乏に対してあなたたちでも感ずる同情を象徴しているにすぎないことをあなた達は知らなければならない。それが分かれば、あなたたちも同胞を援助する…

キリストが感覚体の渇望するものを棄て去り、自らはそのときは享受することのできない善きことのために生きたことを学び悟った時、あなた達は既にキリストなのである。

キリストとは、肉体という形の中にいる生命であること、その生命とは科学者が垣間見はしているものの、今も尚究明し得ざる根源より湧き上がるエネルギーであることをあなたたちが知ったとき、生命はこれを惜しみなく与えるために生きるものであることをキリ…

人間は神から出て又神に還る。

内在のキリスト顕現の究極の目的はただ一つあるのみである。人間は神から出て又神に還る。天から降りてきた者は再び天に昇らねばならぬ。キリストの歴史はわたしの誕生と共に始まったのではない。又、十字架上の磔殺と共に終わったのでもない。キリストは神…

もしすべての人々が自己内在のキリストを宣言して一年乃至五年、キリストの生涯を生きるならば、何という大いなる目覚めが起きることか。

『われはキリスト、神の一人子なり』とわたしは言ったが、それはわたし自身のためだけに宣言したのではない。もしそうなら、わたしはキリストにはなれなかったのである。内在のキリストを出すためには、わたしにしても他のすべての人々も、皆そう宣言しなけ…

あなた達は丁度、自分の父母や兄弟友人に対すると同じようにいつでも神を見、神と語ることが出来るのである。

神の愛は山からほとばしり出る清浄な泉にも似ている。淵源では清浄であるのに、流れ行くうちに曇り、汚れ、海に流れ入る頃には初めとは似ても似つかぬものとなり、やがて海底に泥や夾雑物を落とし始め、次に再び海面に上がってくるが、その時にはもう見るか…

神とは現に存在するすべてのものの背後にある原理である。

今日の世界を悩まし掻き乱しているのは、何処の誰が何語で言い出したにせよ、多くの相矛盾する思想や考え方である。神とは現に存在するすべてのものの背後にある原理である。ものの背後にある原理とは大霊である。大霊は全能、偏在、全智である。神はわたし…

『すべては一なり』

宇宙という広大なる構造物の中には、一人一人の人間にふさわしい場所が在り、各人が各人也の場所を持っていることを神は知り給う。各人がそのふさわしいところにあるからこそ、宇宙という建物は建っているのである。この教えを教わった時、すべての人々の荷…

これが、人類が今日まで常に持ってきた、また現に今でも持ってきている真実の身体なのである。

これが、人類が今日まで常に持ってきた、また現に今でも持ってきている真実の身体なのである。そのような身体は常に存在してきたし、又今後も常に存在するであろう。この身体は、かくの如くにも光り輝くものである以上、いかなる老齢や老朽も巣食うことはで…

わたしたちがこの正当なる相続に目覚めた時、わたしたちの身体が常に美しく純粋なる霊体であり、...

わたしたちがこの正当なる相続に目覚めた時、わたしたちの身体が常に美しく純粋なる霊体であり、最も神聖、荘厳、真実なる神の宮であるという、永遠の昔から伝えられてきた真理の美しさと純粋さに、又目覚めるのである。そのとき、わたしたちの身体は、本来…

全智、全能にして偏在する生命が今、ここにおいて既に完全に実現している

それは、かの全智、全能にして偏在する生命が今、ここにおいて既に完全に実現している、ということに目覚めることである。在らざるところなく、力なきところなく、意識せざるところなく、完全にあらゆるところに在り、力に溢れてすべてを知り、自由にして、…

わたしたちは生命を確信する。この生命を十分、且つ完全に生きる権利のあることを確信する。

わたしたちは、こうして死せる我を内なる生命へ目覚めしめ、その生命がわたしたちを死者より甦らせる。かくしてわたしたちは永遠の生命に還るのである。わたしたちは生命を確信する。この生命を十分、且つ完全に生きる権利のあることを確信する。故に内なる…

人間は一大宇宙原理即ち、神に近いというだけでは十分ではない。...

人間は一大宇宙原理即ち、神に近いというだけでは十分ではない。人間はこの原理そのものと全く一つであってその中にあり、その一部分であり、この原理、即ち神より引き離されることのできるものではないことを、知らなければならない。こうしてわたしたちは…

すべての愛を合計したものが大原理、即ち神である。

すべての愛を合計したものが大原理、即ち神である。神はすべての情愛、すべての湧き立つ思い、すべての愛に満ちた情、眼差、言葉、行いの総計である。大いなる愛にせよ、小さな愛にせよ、また高尚なる愛にせよ、低俗なる愛にせよ、すべての愛の行為は、やが…

わたしたちは実に宇宙そのものであり、宇宙の自意識なのである。

わたしたちが一切の智慧と一つになり、自分がその智慧の一部分に実際になっていること、この智慧が大原理、即ち、神であることが決定的に分かった時、全宇宙の一切の智慧が、わたしたちと共に働いていることを自覚する。又、肉体の一細胞の中にある小さな心…

わたしたちにしても、想いを常住の実在者である神にのみ向けて他に逸らさぬようにすれば、神のみ業の成就を見ることが出来るのです。

イエスが、『父なる神よ、吾に聞き給えるを感謝す』と言われたのは、誰に対してであったか。彼は外なる我、即ち、自我に語りかけたのではない。内なる我、無限の一者、すべてを聴く者、すべてを知る者、偉大にして強力なる、偏在者である神を認め讃えたので…

全き純粋な光こそわれわれの実相である。

全き純粋な光こそわれわれの実相である。 無限の豊かさ、完全なる調和、永遠の若さと健康、限りなき自由、全てを知る知性こそ、宇宙の本当の姿である。

種子を植えておけば、太陽と地球とが協力して、巨大な菩提樹でも或は一番小さい花でも、同じように造り出す。

種子を植えておけば、太陽と地球とが協力して、巨大な菩提樹でも或は一番小さい花でも、同じように造り出す。それと同じように魂や霊も人間の求めに応じて、言葉や観念によって求めるものを人間に与えるのであります。折角の天界に物質的考え方という霞を張…

想念や言葉というものは波紋に相当する波長をひき起こして、円を描いて次々と波及し、遂には宇宙を回って再びその発言者に戻ってくるものです。

この小石をこの鉢の水の中に落としてみましょう。小石が水にぶつかったところを中心に次々と波紋を描いてゆき、終いには鉢の縁つまり水の外側の端まで及ぶのがお分かりでしょう。その端では見たところ、波紋は力を失ってそこで停止します。しかし本当のとこ…

すべては神のものであり、神から出たものであって、人間を通して表現されたものだ

もしも人間が、すべては神のものであり、神から出たものであって、人間を通して表現されたものだということが分かれば、今後の人間の生み出すものはすべてが完全となります。人間は自由意志があるために自ら好き好んで困難な道を選んだのです。人間が神の子…

『我仕えんと意志する』 仕えようと意志すると、生命の流れが『我』の中を貫流しつづけて『我』が光輝を放ち続けるのである。

人が『約束の地』に向けて旅立つには、まず闇黒の土地を見捨て、それを忘れ去らなければなりません。闇黒を去って光明に向わなければなりません。前進しながら停止するのは不可能です。古きものを捨てて新しきものにしがみつかなければならない。覚えていた…

すべての偉大なる魂の持ち主達は、自分のヴィジョンに忠実であるものです。

すべての偉大なる魂の持ち主達は、自分のヴィジョンに忠実であるものです。すべて、今、現象しているものは、初めヴィジョン、即ち、魂の中に植え込まれた概念の種子が後に発芽して生長したものなのです。こういう魂の人たちは、この想念の種子が外部の人た…

ヴィジョンとは約束の土地、実現すべき理念のことであります。

覚者はまず我が内に創造の原理が存在することを覚知します。然る後に彼は観じます。彼のこの悟りが彼の生命(実相)にとっては顕現の機会となるのです。彼にはヴィジョンがあります。言い換えれば彼は自分の可能性、前途に横たわる可能性を自覚します。彼に…

我が内にこそすべての形あるものを造る力と原質と智慧とが存する

人は外的な物で満足できなくなる時、魂は内なる力を求めるようになります。その時、彼は実相『われ神なり』(I AM・神我)を発見するようになります。自分の中に魂を満足させ、魂のすべての必要と欲求とを満足させるすべての力のあることを知り得るのです。…

”必要は充足を予言する”

人生におけるいろいろな制約は、それを克服して自分自身を解放しようという欲望を人に起こさせるものであることを知り給うが故に、イエスは『霊において貧しき者は幸なり』と言い給うたのであります。イエスは ”必要は充足を予言する”と知っておられたし、又…

種子は地中にしっかり定着してから初めて芽生える。内なる神の力もまた、人の魂の中にしっかり定着して、初めて本当の望みを出させることが出来るのです。

わたしたちは別に新しい教派を造ろうなどとは望んでいません。現在ある教会で十分であって、教会はすべての人々に近づいて、すべての人がわが内なるキリストを通して神を知ることができるようにしてあげる真理の中心であると、わたしたちは考えています。教…

人は自分以外の者が敵ではなく、みんな兄弟であるということを悟り始めています。

人間は本来一体となって生まれ出たものです。その事を知っている限りは神より与えられた力と支配権とを正しく用いることができましたが、『我』の心が出てこの力を二元的に考えるようになった時、この力を誤用して二元が出るようになったのです。それは人間…